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共感と理解は泥臭いもの

1月も今日で終わりですね。明日から2月!はや〜い!!

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今日は「共感と理解は泥臭いもの」です。

はじめに

今日も「共感という病」永井陽右著からお届けします。今日で最後です。

過去の内容はこちらから↓

 

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今日は、「共感」や「理解」とは泥臭いものだということをお伝えしていきたいと思います。

共感と時代

共感は良い側面も悪い側面も持ち、現代社会で様々な作用を引き起こしています。

現代社会では概ね平等といった概念は大切であり、共生することも大事であると理解されています。特に若い世代であればあるほど人権、平等、共生等といった概念はなんとなくプリインストールされており、「まぁそういうので大事だよね」くらいの社会的常識が社会を覆っていると思います。

若者になればなるほど、人権や平等や共生を理解しているということは知っておかなければならないことかなと思います。

こういう感覚に鈍感であれば、若者たちとコミュニケーションを取ることが難しくなっていくということは押さえておく必要があります。

共感は強要するとこじれる

個人が差別などを受けないことだと、抑制しようとすればするほど、そうした言動や行為をしてしまう傾向があります(リバウンド効果)。また、自分の中で恐怖や憎悪といった負の感情が特定の他者と紐付いている場合は、差別や排除はダメだと言われれば言われるほど、他者を排除しようとするべくその正当化を図ろうとすると言われています。

人間は基本的に現状維持を好むと、同時に変化に抵抗する心性を持っており、逆説的ではありますが、社会の不条理を是正しようと言う流れの中で現状の自分としての安定が崩れることを嫌がり、防衛するべく正当化を図る傾向があります

いくら論理的に正しいものを積み上げて論破したところで、負けた相手側は論理等ではないもっと感情的なところでフラストレーションをあらわにしたりしていました。その上で個々人が大切にしていると言うことを攻撃されるとなると、それはもう話し合いどころか、この敵をどうしてくれるかと言うスイッチが入ってしまいます。

分かっていても感情的に追いつかないとや、感情的に嫌だから分かろうとしないというのは人間の持っているよくある話だと思います。

私はお風呂に入ろうとしている時にお風呂に入りなさいと言われたら入りたくなくなるということがありました。やらないといけないことが分かっていて、でもやりたくなくて、だけどやろうと決めた時に「〇〇しなさい」って言われるとやりたくなくなるんですよね。元々やりたくないことだったので、言い訳する理由ができたということだと思います。

〇〇すべきでは押し通せないのが感情ですね。だから泥臭くコツコツと共感と理解を積み上げていくしかないのだと思います。

多様性を受け入れる前に考えること

わかりあえないを前提にどう前に進めるか、むしろ私たちが多様性を受け入れることは難しいと言う心構えを持つべきではないでしょうか。

多様性はよく聞く言葉で、大切だと言われています。だから受け入れろと強要してもダメだということです。

多様性を受け入れることは難しいという前提で丁寧に戦略的にしっかりと話を進めていく必要があるのかもしれません。

人の信念を変えるには年月が必要だということなのだろうと思います。

認知的共感の大切さ

まず、理性的に自分の権利と同様に、他者の権利を見つめることが始まりではないでしょうか。「キモくて金のない、ボロボロの服を着た中年男性」のことをあくまでも自業自得な浮浪者だと認識し、良い気味だと思いながらも、彼の権利を尊重して理性的に反応することが求められていること。その後に実際にそのホームレスの方が抱える問題をどこまで解決できるかとIうのは、各自分のキャパシティーなどもあるので、楽観的な事は言えませんが、そうした理性的な理解からいろいろな可能性が生まれるのではないかと思います。「守ろう人権!みんなの人権!」などといった綺麗なスローガンではなく、基本的に話したくもないし、何なら関わりたくもないけれど、権利はあるよね。まぁくらいの方が人間の心性に沿っていて無理がありません

共感ではなく、地に足のついたリアルな実態の伴った権利に対する理性的な差しこそが、嫌悪が続く現代の世界を良くすることだと私は考えます。本能や直感を変えることが難しいです。だからこそそのことを認めた上で流されないための理性的な錨(イカリ)が必要なのです。

感情に任せるのではなく、共感の良いところをうまく使いながらも、同時に理性も働かせてそのをしっかりと持ち取り残されている人がいないか、対立や分断をどう乗り越えることができるかなどを常々考えることが社会と世界を良くしていくことにつながると考えます。共感だけではダメで、理性とともにあることで、真の意味で初めて可能性が出てきます

私は、話したくもないけれどまあ権利はあるよねというスタンスはとても大切だと思います。「まあ」というこの諦めというか理不尽というかそれを受け入れる言葉がとっても大切だと思います。

「私はこうだと思う!!まあ別の意見もあるよね」というスタンスを持ちながら対話を進めていけば上手い具合に落ち着くのではないかと思うんです。

甘い考えかな?

他者に共感する前に自己理解を

最後にこの本で2回出てきた言葉を書いておきます。

「もしあなたが私のことを知っていて、あなた自身もあなたのことを知っていたが、あなたは私を殺したりしないでしょう」と言うルワンダのジェノサイドメモリアルセンターの言葉をおよそ30年が経った今、私は改めて噛み締めています。他者よりもまず私たちは自己の理解から始めるべきなのです。自己理解を通して、同じ人間を見つめるということで、理解できることもあるのだと思います。

まずは自己理解から始めることが大切だといっています。私もそうだと思います。自己理解を進めていく中で他者の言葉も理解できるようになる。自己理解は他者を排除するものではなく、他者との違いを認め受け入れていくという使い方をしてほしいと思います。

最後に

共感と理解は泥臭く積み重ねていくものだと認識するのがいいと思います。その場限りの共感は打ち上げられた花火みたいにあっという間に消えていきそうです。

そうではなくて、キャンパスに絵を描いていくようにゆっくりと共感と理解を進めていくことが大切なのかなと思います。

今の流れの早い時代の中で、あえてゆっくりと共感と理解をしていく。なんて贅沢なことなんでしょうね。

そういう関係性を会社でも作れたら働きやすい職場になるのではないでしょうか。

理想論を最後に語って終わりにしたいと思います。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました!

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