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先達に学ぶ<栗山監督にみるリーダーシップ&マネジメントについて>その3

今日もまだ栗山監督のネタから。味がなくなるまでしがんじゃう。

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今日のテーマは「先人に学ぶ 栗山監督にみるリーダーシップ&マネジメントについてその3」です。
今日こそ短めに終わりたい。

自分の哲学を言語化できていますか?

NHK番組『プロ野球マジックの継承者たち』の最後の10分だけ見ました。

前例踏襲ではない自分の哲学に沿って思考を使うことの大切さを改めて知ることになりました。

そこで紹介されていたのは、近鉄オリックスで監督を勤めた故仰木彬監督と、昭和20年代〜50年代5球団(巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルト)で監督を、日本アムファイターズの球団社長を勤めた三原脩監督でした。

仰木監督は三原監督の元で選手としてコーチとして直に教えを受けています。栗山監督は三原監督の野球哲学をよく学んでいたと聞きます。

仰木マジック

調べれば調べるほど出てきますね。ここではその一例を挙げます。

野茂英雄投手に自分のやり方を貫かせトルネード投法を矯正しなかった。
制球力が悪かったので投球フォームを変えるべきとの声が多かったそう。

・連敗の時に、選手たちに門限なしで遊びに行くように言った。
監督が一番遊んでいたとか?「監督は遊んでいるふりが上手かったんです」との言葉もあり。

・ピッチャーを一時的(別のピッチャが一人だけに登板)に一塁の守備につかせた。
常識的にはないこと。

鈴木一朗選手を「イチロー」に佐藤和弘選手を「パンチ佐藤」と登録名を変更。これはこれから売り出そうとするイチロー選手に注目を集めるための戦略。
大学1年生の時、はじめてオリックスの試合を見に行った私は、友人から「イチローって誰?」と聞かれて「外国人ちゃうかな〜」と答えた。日本人やった。まんまと仰木マジックにハマりました。

・選手に何か言葉をかけるときはさりげなく。グラウンドで呼び止めたり、監督室に呼ぶことはなかった。
身構えてしまうからですね。のびのびさせるためのことでしょう。

セオリーに囚われず、状況に応じて、臨機応変に動く
それは単なるひらめきや思いつきではなく、データを徹底的に読み込み、分析し、攻略法を考え、何度もシミュレートしていたそうです。

三原マジック

三原監督の名言をピックアップ。

・野球は筋書きのないドラマである。
超有名な言葉。

やりたいことをやってもよろしい。言いたいことは言いなさい。が、与えられたことはきっちりやらなければならない。
一番最後のフレーズが自分、そして相手にしっかり伝わっているかが肝だと思います。

勝負は実力5、運3、調子2である
運と調子で5割。

監督はゲームに勝てる雰囲気を醸成し、技術・精神をつねに調整するいわばエンジニアである。
雰囲気作りは大切ですね。
・野球というメンタルの要素が大きいゲームの監督をやっていると、雨を自軍の選手がツイていると感じてくれるように努力をしなければならない。
それにはしっかりと状況を読んだ上で、声の掛け方が重要ですね。

監督のやり方より確かなものにするために、代行する者をグラウンド内に置く。監督の指向しているのはこれだ、ということを的確につかめる選手を配置しておく
いわば現場での指揮官ですね。

・弱小チームを強くするのは男子の本懐である。ただし、チームを強くするのは監督ではなく球団の姿勢だ。
「チームを強くするのは球団の姿勢だ」そうです、監督だけではできないことがあります。

他にもたくさんあるのですが、今日はここまで。

最後に三原監督と仰木監督のエピソードを。

仰木監督は選手時代、毎日朝10時の三原監督の朝食会に通っていたそうです。仰木監督は当時、遊びたい盛りの若者。ナイター明けに毎朝三原の朝食会に通うのは辛く、1日だけ遅刻したことがあったという。

その時、三原は朝食を食べずに待っていて、仰木が姿を見せると、仰木に対して「場末の安い酒を飲むから二日酔いをする。一流の場所で一流の酒を飲め」と、叱りもせずに小遣いをくれたそうです。
「叱ってくれるならば、クソって反発もするけれど、小遣いだからな。参っちゃったよ」』

これぞ人心掌握、さすがです。

栗山マジック

栗山監督は三原監督が残した野球哲学が書いている三原ノートを読み込んでいたと聞きます。

私が一番の奇策だったと思うのが、大谷翔平選手の二刀流
当時、前例がないとの理由で「両方なんて無理だ」「故障させるだけ」「高校野球ではできてもプロでは通用しなし」など多くの批判を受けていました。

実は三原監督は二刀流をさせていたことがあるようです。永淵洋三選手。投げては先発・リリーフ・ワンポイント。そして外野手の守備にもつく。打率も3割を超えていたとか。

大谷翔平選手の二刀流を進めるにあたって「三原さんだったらどう判断するだろうか」そういう考えに背中を押されていたのだと思います。

まとめ

自分の哲学を作るために、たくさんの経験から学び、またたくさんの先達から学ぶということが大切なようです。

三原監督の言葉「他人が見れば奇策でも、私自身のセオリーである」はそう言えるまで学び、分析し続けた結果なんでしょうね。

最後に

仰木マジックの1つに、1995年に起きた阪神淡路大震災の年のリーグ戦、「がんばろうKOBE」の合言葉で戦い抜き、オリックスブルーウェーブをリーグ優勝に導いたことがあります。

当時、私は大学2回生。友人に誘われリーグ優勝が決まる前後の試合を見に行きました。普段人が入っていない3階席に座って、満杯のお客さまを見下ろしました。

まだ神戸は復興が始まったばかり。選手に何かを託すような、そして選手を支えるかのような球場の雰囲気は今でも覚えています。雰囲気の力ってすごいですね!

最後までお読みいただきありがとうございました!

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