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痛みを痛みとして認識した方が良いが、認識してしまうと頑張れないという大いなる矛盾

昨日は友人と晩御飯を食べに行き、お酒に強くないのに日本酒を飲み過ぎてしまいました。でも美味しかった。

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今日は「痛みを痛みとして認識した方が良いが、認識してしまうと頑張れないという大いなる矛盾」です。
えらい長くて回りくどいタイトルになってしまった。

今日のまとめはあんまりまとまってません。皆さんなりに感じてもらえると嬉しいです。

「普通に痛むことの尊さ」

元フィギアスケーターで国学院大の助教町田樹さんのコラムを読みました。タイトルが「普通に痛むことへの尊さ」でした。

以下、内容をまとめます。

アスリートの人生には怪我や痛みはつきもので、その痛みを押して練習や競技会に参加をしていく。そうするといつの間にか痛みに対する耐性がついた。痛みをグッと堪えていれば無痛状態に至ることができるようになった。

現役を退いて久しぶりに練習をした時に靴擦れが複数できて激痛が走った。その痛みは治ることなく増していくばかり。町田さんはそこで痛みに対する耐性を失ったことに気づく。

その時、無痛状態に行けることが良いことではないことに気づく。脳は痛みを認識していないかもしれないが、確実に心身ともにダメージを受けている。無痛状態にいけること、それは心身のダメージを認識できないこととイコールだ。

そして、痛みに対する心身の耐性はやがて痛みへの共感能力が乏しい人格を形成していくことになるのではないか。無痛状態に至れる人たちが指導者として関わると、選手にも無痛状態に至ることを求めてしまう。それは果たして良いことなのだろうか?

これからは普通に「痛い」と感じる、その感覚を大事にしたいと思う。

以上、まとめ終わり。

仕事との共通点

アスリートは体の痛みで表現されていました。仕事ではどうでしょう?

・嫌な仕事をすること

・多すぎる仕事

・抜けきれない倦怠感

・睡眠不足

等、数え上げればキリがないと思います。

我慢していれば、それが慢性的になり、慢性的になれば耐性がついてきて、感覚が鈍くなる。そしてさらに慢性的になり、さらに耐性がつき、さらに感覚が鈍くなるという永久的なループに陥るでしょう。

私も過去、そのような働き方をしていました。

麻痺させることが悪なのか?

町田さんは他人に痛みに我慢していれば無痛状態にいけるということをアドバイスしたことについて、申し訳なかったと書いておられました。

ただ、無痛状態に至れたからこそ、オリンピックでも活躍できるような選手になれたのだろうと思います。

私も、多すぎる仕事に立ち向かったから、会社に認められたことも否定はできません。嫌な仕事も取り組んだから、克服できたこともあります。一方で克服できなかったこともありますが、その経験は役に立ってはいます。

もし何かを成し遂げようとしたら、人の能力はそう大差がないので、他人より多くの時間を競技なり、仕事に費やす必要がある、それは成功した人が口を揃えていう事実だと思います。

自分で選択するということ

自分で選択してそこに立ち向かうおうと思うなら、それは良いのかもしれませんが、他人がそこまで求めるのは良くないというのは分かっていると思います。

私が難しいと思うのは、自分で選択して立ち向かおうとした人の雰囲気や空気感が周囲の人間にどうしても影響を及ぼしてしまうということだと思います。

頑張っている上司の部下で、マイペースを貫ける人もいれば、影響を受け知らず知らずに頑張ってしまう人もいます(過去の私)。

知らず知らずに影響を受けた人は知らず知らずのうちに他者にも頑張りや痛みへの我慢を求めてしまいがちだと思います。

そして自分は今、痛みを我慢していると知ることが大切なのだと思いますが、自分は今、痛みを我慢しているという認識では頑張れないので、痛みを我慢していないと脳を騙す必要があるというのが、大いなる矛盾なのだと思います。

今は時代が進んで、スポーツ✖️科学で自分の体のデータを客観的に見ることで、練習量をコントロールする時代になりました。適切な追い込みがデータとして見れるようになってきたのでしょう。脳は騙せても乳酸の量は騙せないということでしょうか。

まとめ

・普通に痛いと思うことは尊い

・人より上に行くためには、時間を多く費やす必要がある。

・その過程で、痛みを麻痺させる必要が出てくることもある。

・痛みの麻痺は他人に強要してはならない。

・知らず知らずに痛みを我慢している人は知らず知らずに周囲にも痛みの我慢を求めがちになっているのではないか。

・痛みを痛みとして認識した方が良いが、認識してしまうと頑張れないという大いなる矛盾が出てくる。

最後に

まとめがまとまっていないという状態に陥ってしまいました。

時には「脳を騙して痛みを感じないようにする」という状況をうまく利用することも大切です。

そこのバランスをどうするのか、それはもう自分次第ということになります。誰かの意見を参考にしてもいいですが、参考にしかならないことを知っておいてほしいと思います。

どの痛みを感じてどの痛みを感じないようにするのか、私も日々、内観します。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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